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2022 ルビー祝(8期生)・銀祝(23期生) 合同式典 報告

2022年 8期生ルビー祝 & 23期生銀祝 合同式典の報告 10月29日

秋晴れのなか、3年ぶりに秦野キャンパスにてルビー祝・銀祝合同式典を実施することができました。感謝のミサ、祝状授与、各期代表ごあいさつ、集合写真撮影と続きました。
ソフィア・ジュニア祭(SJ祭)も対面にて開催され、活気が戻ってきたキャンパスの空気を感じながら、懐かしい学生時代の日々を同窓生と一緒に思い返すことができました。

佐久間神父様、トマス神父様司式による感謝のミサ



山本学長 ごあいさつ

佐久間理事長 ごあいさつ

8期生代表 荻野 麻里さん ごあいさつ

皆さまお久しぶりです、8期生Eクラスの荻野(旧姓 長谷川)麻里でございます。

山本学長、佐久間理事長をはじめ先生方、この懐かしい上智短大にて式典を催してくださり感謝を申し上げます。そして役員の皆さま、ご準備にご尽力いただきまして誠にありがとうございます。

私は短大卒業後、上智大学に編入し、卒業後はテレビ番組制作会社に就職して海外を飛び回ってロケをし、番組を作っておりました。そしてファッション業界へ転職し、現在はリフレクソロジーという足や手を刺激して体を整えるセラピストとして、施術とスクールを行っておりまして約25年になります。

そのような、いろいろな業界を渡り歩いてきた珍しい職歴のためか、上智短大の「キャリアプランニング」という授業に毎回お呼びいただき、私の今までの人生を短大生の皆さんにお話しをさせていただいております。仕事のバリエーションはこんなにあるんだ、と少しでも希望を持ってもらえたらと願っております。

そんな若い短大生と触れ合うたびに、当時の私たちと比較したりしておりますが、イマドキの女子たち、といえども、考えていることやお悩みは昔とさほど変わりはないのではないかと感じます。

例えば、どんな仕事が自分に向いているのだろう、英語が活かせる仕事がしたい、外国で活動したい、アナウンサーになりたい、バイヤーになりたい、かっこいい人と結婚したい、専業主婦にもあこがれる~などなど。

短大の2年間というのは、高校生からは脱皮したけれどオトナにはなり切れない、ちょうどはざまの、悩み多き、でもわくわくすることもいっぱい、そんな貴重な時期をこの上智短大で過ごさせていただいてほんとうに良かったなあ~と心から感じております。

スピーチをお引き受けしてから短大生活を思い出そうと、錆びかけた脳をフル回転させましたら、とにかく楽しい、大爆笑の思い出しか思い出せません。とても濃い2年間だったと思います。

私たちEクラスの自慢はバリー学長にいつも優しい笑顔で「とにハウ、(「とにかく」と「anyhow」の合体)EぐみはEくみでーす!」と言ってもらっていたことです。もしかしたら先生に会うたびにこのフレーズを言っていただきたくて「先生Eぐみはどうですか?」と誘導尋問していたような気もします。

入学式のあとのオリエンテーションキャンプの初日だったでしょうか、うちのクラスの一人が自己紹介をかねて、八代亜紀の歌を熱唱し、みんな度肝を抜かれた覚えがあります。それが伝説のスターであり、Eクラスのプロデューサーひじりさんで、今日も仙台から駆けつけてくれています。そこから、Eクラスのめくるめく楽しいクリエイティブな短大生活が始まります。

スポーツデ―では応援合戦のダンスで、一等賞をとろうと燃え、オセロゲームのように白と黒の衣装に分かれて、インベーダーゲームのような振付を作り上げ、クイーンの「We Will Rock You」に合わせて踊ることになりました。せっかくだから顔も白と黒に塗ろうよ、ということになり、有無を言わさずみんなにドーランを塗ってもらい、白塗りはバカ殿みたいになり、黒塗りはシャネルズみたいになり、まあ、その演出力が報われまして一等賞がもらえました。しかしそのあと、黒塗りの人達から黒いドーランが何度洗顔してもなかなか落ちない!と大クレームが来てたいへんでした。
今でも「We Will Rock You」を聞くといまだにあの白黒な情景を思い出します。

それから、四谷の上智大で行われるソフィア祭にも短大代表でクレープ屋を出店し、お店のロゴづくりやお揃いのエプロンづくりなどのイメージ戦略から、材料の仕入れ、歌と踊りまで作ったPR活動、今思えば徹底したビジネス戦略で、おかげさまで長蛇の列、売上がでみせの中でナンバーワンとなり、ソフィア祭実行委員会から目をつけられて、あくどい商売をやっているのではないかとチェックが入るほどでした。8期生の名誉のために付け加えておきますが、売上金は修道会を通して寄付をさせていただきました。

そして極めつけは卒業の記念に英語で映画を作ろうということになり、丹沢の山並みをアルプスに見立てて、秦野キャンパスで「サウンドオブミュージック」の制作が始まります。8期生の皆さんはしつこいほどこの映画を見せられていると思いますけれども。

まずオリジナルのジュリー・アンドリュースの映画のビデオを借りてきてセリフを書き起こし、英語の台本をつくり、演技の練習、そして当時は8ミリビデオで撮影をして、フィルムを文字通り、切って貼っての手作業で編集をしました。今ではスマホでいとも簡単に撮影、編集ができるようになってしまって、あの時の私たちに見せたいものです。

クラスの就職組がどんどん一流企業の内定を取って帰ってくる中で、編入組の私は試験前なのに、一人で黙々と短大の教室で編集作業をしていました。
まあ、この経験のおかげで私は番組制作の道を選んだと言っても過言ではありません。

この活動で外せなかったのがお世話になった先生方への出演依頼です。
バリー学長には結婚式のシーンでの司祭役。私は自分の結婚式でもバリー先生に式をあげていただきましたので、映画が予行演習となりました。

巽先生には、大きなピカピカの蝶ネクタイを付けていただき、最後のコンクールのシーンで、あの格調高いブリティッシュイングリッシュで司会者を演じていただきました。
英文学の赤尾先生とフランス語の橋本先生には門番やシスターのコスプレをして、コミカルな演技をしていただきました。今里先生とクレーマー先生には、ナチスの兵隊役をお願いしました。「本当は嫌だけど」とおっしゃりながらも、あなたたちのためなら仕方ない、と協力してくださいました。今思えば大変失礼なお願いでした。

ご出演いただいたほとんどの先生が天国へ行かれてしまい、はからずもこの映画は思い出深い永久保存版となりました。

こんな面白い思い出ばかりお話ししていますと、おいおい勉強はちゃんとしていたのか、と突っ込まれそうですが、私はこの2年間が一番、集中してお勉強ができたと思っています。
この秦野の、嫌でも勉強がはかどる環境で、一流の先生方が語学の面白さや奥深さ、グローバルな視点に目覚めさせてくださいましたし、また、人間とはどう生きるべきか、を教えてくださった「人間学」は大人になってからこそ再受講したい授業です。

このようなちょっとヤンチャな8期生をソフィアの精神で温かくおもしろがって見守ってくださった懐の深い先生方や職員の皆さんのおかげで、私たちのその後の人生は、たくましくバブルを超えて、更年期を超えて、コロナを超えて、がんばってこられたことは言うまでもありません。そして還暦を迎えました。

最後にセラピストっぽいお話しをさせていただきますと、私たち女性は、もはやホルモンバランス的には女性ホルモンが減ってきた代わりに、むくむくと男性ホルモンが分泌されてきていますんですね、そうすると、これからこそ社会的参加とか外に向かっての発信に向いているそうです。女性の人生は二度おいしい思いをするのです。人生楽しんで参りましょう。

どうもありがとうございました。

23期生代表 松野 朗子さん ごあいさつ

私が上智ですごした二年間は、小室ファミリーやパフィーの音楽が町中で流れる浮かれた面もありながら、就職事情は超氷河期と言われ、阪神淡路大震災や地下鉄サリン事件といった社会的に大きな出来事もおきた、なんとも二面性のある二年間でした。

そんな中、私はふてくされて入学してきました。
四年制の大学を希望していたものの受験では思うような結果が出ず、このような言い方はくだらないのですが、いわゆる滑り止めの学校への入学となったからです。

そのふてくされぶりは、キャンパスが秦野なことも知らなかったほどで、入学式前日に自分が通う場所を知って気持ちはますますトーンダウンしていました。授業を受けていても、「ここは私の場所じゃない」と投げやりで、周りからどう見えていたかはわかりませんが1~2か月はそんな心持だったと思います。

そんな自分が変われたきっかけは、やはり同じキャンパスに通っていた友人たちでした。入学を心から喜び、「卒業したら〇〇になりたい」と目を輝かせて将来を語っています。ここにいることに何の迷いも後ろめたさもない。
彼女たちは本当にまぶしくキラキラしていました。命として輝いていました。
そんな友人と過ごすうちに、まるでオセロの駒がひっくり返るように様々なことがポジティブにひっくりかえっていき、楽しくなっていったのです。

受けている授業も秦野という場所も大切に思え、もっと知りたいもっといろいろ学びたいという気持ちが増していきました。等身大の自分を、そこにいることを受け入れられたのだと思います。

唐揚げラーメン、ツナをトッピングしたサラダ、白浜のチーズケーキ、牛舎の匂いを嗅ぎながらたどり着くファミレス、教科書を束ねる紐、パンパンに学生を乗せて地面をこすりそうに曲がるスクールバス、学校帰りの夕日、真っ暗の中揺られる小田急線。

思い出すだけでなつかしさに涙がこみ上げそうになる、小さいけれど大切な思い出の数々です。

卒業後は四大に編入学しましたが、わたしの学び舎は間違いなく、ここ秦野です。

今回の記念祝祭の案内をうけとったとき、「行ってみようかな」という気持ちになりました。

あれから25年の時を経て40半ばになった今の自分は、上智短大入学前の自分と同じ場所に立っているのかもしれません。

仕事はそれなりにこなしたが女性の活躍が謳われている中でそこに届くような結果は出せていない。しかしそのつもりで出産が遅くなったため3人の子供達はまだ幼く、思い切った舵とりはできない。何者にもなれていない自分に焦り頑張ろうと奮起すると、更年期の入り口で身体的に苦戦する。

短大入学時のふてくされた自分が、ここ10年余りの人生を受け入れきれずにいる今の私と重なって見えます。

かつて目の前の幸せに気づかせてくれたこの短大が、再び自分に気づきの扉を開いてくれているような気がしました。

秦野キャンパスは、かつて自分が懸命に学び一生語らうことのできる友人と引き合わせてくれた大切な場所です。
迷ったとき、立ち戻れる場所です。
そんな場所が自分にもあることを心から幸せに思います。

ルビー祝の皆さんも銀祝の我々も世の中的には『中高年』でひとくくりでしょうが、ルビー祝の皆さんはやはり私どもからみたら人生の先輩方です。
今日はどんどん声をかけてください。そしていろいろと教えて頂きたいです。

この日を機に、自分がおかれている環境を受け入れ再び楽しく生きていかれたら良いなと思います。


Zoom参加

集合写真





















来年2023年度は、9期生のルビー祝、24期生の銀祝となり、合わせて上智大学短期大学部創立50周年の年度ともなります。一日も早く新型コロナウィルスが収束し、安心してみなさまと対面にてお会いできますよう願っています。

上智大学短期大学部ソフィア会



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