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ミシガン便り

「ビザ」

ご存知の方もいらっしゃると思うが、外国に行く場合、ビザ(滞在許可証)というものが必要である。外国人を入れるのだから、その人を入国させても大丈夫か、ちゃんと調べておきたいというのはうなずける。ある国同士は、ビザウエーバーシステムで、90日以内の観光は「ビザなしでよし」で、アメリカと日本の関係は現在そうなっているから、皆さんが米国本土はもとより、グアムやハワイ、プエルトリコなどに訪問するときも、日本のパスポート一つで身軽に行かれる。しかし、たった一日でも仕事で行くことになったら、厳密にいうとビザが必要。特に収入を得る場合、それがたとえどんなに小さな額でもワーキングビザが必要。

不思議な気分になるのは、「元」中国人の友人たちのこと。ご両親も中国人、生まれも育ちも中国なので、見た目だけでなく、英語も中国語なまりがあるのだけれど、こちらで市民権を取っているから「正真正銘アメリカ人」。つまり、中国に里帰りをするときには、私たちが中国に観光に行くのと同じようにビザの申請をして、スタンプを押してもらって、外国人として入国しなければならないのだそうだ。

ちなみに、デュオシチズンシップといって、2か国の国籍まで同時に持てるメキシコのような国もあるので、以前に書いたことのあるマダガスカル人ジーナはマダガスカルとイタリア(ご主人の国)の2か国の国籍を持っている。だから、「アメリカに住んでいるけれど、子供たちはヨーロッパの大学に行かせた。だって学費がタダなんだもの」と言っていた。EUの国はそうらしい。フランス人のフロも息子さんの大学入学のためだと春から数か月、里帰りをしていたいたはずだ。ただじゃないけどほんの数百ユーロだといっていたように思う。アメリカの公立大学でも年間200万円程度、私立の有名校は600万円くらいかかることを考えたらとってもいいなあ~。自分の国の大学だけなのかEUどこでもなのか、今度会ったら聞いてみよう。イギリスは医療費もタダだとか。いいなあ~。その分税金が高いのかな?

話をもどそう。こちらの政治家の中に、外国人の労働者を受け入れていることが、不景気の元凶だと信じている人がいるらしく、そういう人たちが、ビザやグリーンカードそのほかの認可を行う部署に圧力をかけているという話も聞く。ここのところ、誰でも知っている大企業でも、ビザ申請を却下されている事例が相次いでいるらしい。この考え方は大分見直されてきてはいるようだが、まだまだ根底にはあるのだろう。

夫の勤める小さな学校でもそのあおりを受けている。このたび、ベテランに「超」が付くほどの先生が、ビザの更新が認められず帰国を余儀なくされてしまった。教師としてだけではく、人間としても魅力的な先生で、生涯一教諭でありたいと、エネルギッシュに子供たちに接してくれるその姿勢は、若い親が与えられないもの、また外国に住む日本人がなかなか子供に伝えられないものをもしっかりと与えてくれていた。子供を通わせた親の一人としても、外国にいながらこの水準のものを与えてもらえた幸運は、文字通り「感謝感謝」だ。今回のことは残念でならない。


たとえばこんなことがあった。仕事から帰ってきた父親に娘が「ねぇねぇ、父さん、知ってる?」と声をかける。幼稚園で習ってきたことを自慢したいらしい。で、何を言うのかと思ったら、いつもののんびりした(まのびした?)言い方で、「おやのこころ~こしらず~」と来た。夫も思わず吹き出していた。「いぬも~あるけば~ぼ~にあたる~」もお気に入りだったなあ。

こんな教えを通して、英語が主になりかけていた娘に、日本語話者としてのプライドのようなものを授けていただいたことは、その後の教育にも大きな意味のあることであった。

残念なのは、移民局の部分だけでなく、間に入った弁護士(移民専門)の対応。
差しさわりがあるから詳しいことは書かないが、人の人生がかかっているというのに、いい加減な対応も多く、米国日本人社会で知られた弁護士事務所でも驚くような無責任に遭遇することがある。作成してくれる書類にはいっぱいミスがあるし、挙句の果てに「うっかり忘れていました」「間に合いませんでした」「(うまくいかなかったので)いったん国外に出て、一年以上待ってください」などと言われた、という話もそこここで耳にする。

それでも、このビザのごたごたの中、この先生の息子さんがいわゆる超難関校に合格した。急な帰国で行き先がなく、アブレてしまうかと心配しただけに、これは本当にうれしかった。彼にとってもきっとこのことは何かそうなるべき意味があったのだろう。そして、この先生を必要としている園児たちが日本で待っているのかもしれない。園児たちだけでなく、もしかしたら若いママたちも、かもしれない。

これだけ一生懸命に手を尽くしてもだめだったのだ。
これらもろもろのことをすべて踏まえて、「神の采配」なのかもしれないと思うこのごろでもある。

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