ホーム 9期 ルビー祝・24期 銀祝 式典 & ホームカミング2023 報告 (10月28日)
9期 ルビー祝・24期 銀祝 式典 & ホームカミング2023 報告 (10月28日)
SJ祭で賑わう秦野キャンパスにて、感謝のミサ、ルビー祝・銀祝式典及び祝賀会を開催しました。同時に「ホームカミング2023」と1期生主催による「1期生の集い」も催され、笑顔あふれる一日となりました。
感謝のミサ式典に先立ち感謝のミサを、司式司祭 サリ・アガスティン上智学院理事長、共同司式 高祖敏明神父、トーマス・ヴァルキー神父、にて司式いただきました。在学中の静かな、心落ち着く時間を思い出された卒業生も多かったのではないでしょうか。
みなさまこんにちは 5期生の平野由紀子です。ご来賓の皆さま、本日はご臨席いただきありがとうございます。
卒業40周年を迎えられたルビー祝の9期生のみなさま、卒業25周年の銀祝の24期のみなさま おめでとうございます。
久しぶりに、あるいは卒業して初めて秦野を訪れて、在学時代と比べて、ずいぶん変わったところに驚かれた方も多いでしょう。
私は東京から車で来て、東名高速の秦野中井インターを利用したのですが、45年前は手前の厚木で降りて、東海大学の立派な建物を見ながら一般道を走ってきたものです。
駅を通り過ぎるだけだった小田急ロマンスカーも秦野で乗り降りできるようになりました。
一方でなくなったものもあります。
牛の香り。私は聖マリア寮にいたのですが、朝晩なじんだあの香りが今では少し懐かしいです。その聖マリア寮もなくなってしまいました。
形あるものは変化しますが、変わらないものがあります。私たちが受けた教育、学んだ教養・知識。恩師とのつながり。友達との思い出。
ご周知のとおり、私たちの母校はあと数年で形を存続しなくなりますが、この、いつまでも変わらないもの、同窓生のつながりはこれからも皆様と共に、さらに繋げ続けていきたいと思います。
50年前の創立時に入学した1期生は2年後に卒業50周年の金祝を迎えます。
ルビー祝の10年後、銀祝の25年後、そして来年4月に入学する最後の短期大学部の学生が卒業50周年を迎えるまで、私たちソフィア会は、同窓会の絆を深めていくお手伝いをして参ります。
最後になりますが、同窓会マジックというものがあります。卒業生が集うと、私たちは一瞬で20歳の青春時代に戻ることができます。
今日はこの後の祝賀会で、学生時代の自分を思い出し、慈しみ、キャンパスを楽しんでください。
改めまして皆さまにお祝いを申し上げるとともに、今後のソフィア会活動への一層のご協力をお願い申し上げて、ご挨拶とさせていただきます。
「笑っていましょう」
卒業して四十年たちました。みなさんいかがお過ごしでしたか。ルビー杯当日、秦野駅南口から学校に向かうスクールバスに乗り、長い間会っていなかった同級生と「想像もしなかったことが、起こったよね。それでもどうにか乗り越えて、わたしたちって結構すごいかも」と話をしました。わたし自身のことを言えば、脊柱管狭窄症になり、四年前に手術を受けました。背骨を削りボルトで留めてあります。今は両脚が痺れて痛み、杖を使いヘルプマークを付ける身になりました。こういう体になって、やっとわかったことがあります。わたしは痺れていても歩けます。それはとてもいいことです。この学校で学んだので、このように考えられる人間になりました。全然くよくよしていません。
さて、海亀の話をします。わたしは仕事帰りによく「すみだ水族館」に寄って、海亀を見ています。この水族館では小笠原諸島で生まれた亀を一年育て、その後、小笠原の海に戻すのです。実際に海に戻す様子を「X」で見ました。亀、大丈夫? あなた、環境が整った水槽しか知らないでしょう? 本物の海でやっていけるの? わたしはとても心配した。でも亀は嬉しそうにひらひらと平気で泳いで行きました。一度浜に向かって来てしまったけれど、係の人が海に向かって方向を直してやると、その後はしっかり沖に向かって泳いでいったのです。あの姿は、四十年前のわたしたちだったのかもしれません。家族は当然のことながら、学校の先生方も世に出ていくわたしたちを心配して下さったことでしょう。でも、同時に「十分教えたから大丈夫」とも、思って下さったのかもしれません。
バリー神父様は、わたしたちの卒業証書に「笑っていなさい」と書いて下さいました。その動詞は「laugh」ではなく「smile」でした。わたしたちは英語科の学生ですから、その単語の違いはわかる。卒業後、笑っていられない事は当然いくらでもあった。バリー先生も、そのことはご承知の上で卒業するわたしたちに教えて下さったのでしょう。笑えない時に笑うことは簡単ではありません。そうです、簡単ではないことも出来る人間になりたいと思います。バリー先生が最後にわたしたちに教えて下さったように、この先も、やっぱり笑っていようと思います。そして、みなさん、こんな風に死ぬまで一生懸命生きていきましょう。
25年ぶりに戻ってまいりました、24期生の西村尚子です。本日は、ルビー祝、銀祝を迎えられた皆様、誠におめでとうございます。先生方におかれましては、ご多用の中お集まりいただき、式典の開催をありがとうございます。また、ソフィア会役員の皆様、このお祝いの日に向けて趣向を凝らし準備くださいました事、心よりお礼申し上げます。
1998年の卒業以来、上智短大を訪れたのは今日が初めてとなります。同級生から銀祝の連絡を受けて「参加してみよう♪」と盛り上がり、スケジュールが合う仲間3人で再び秦野キャンパスの地を踏むことができました。
青い空 緑の芝 白いベンチ
そこに穏やかな笑顔で座っているのは豊かな白髭を蓄えた当時の学長コリンズ先生
その周りを囲む学生達
光景が蘇り懐かしさのあまり先週末は実家へ立ち寄って久しぶりに卒業アルバムを手に取りました。上智短大での学びは私にはレベルが高くついていくだけで精一杯でしたが個性溢れる先生方の講義がおもしろかったこと、ぎゅうぎゅう詰めのスクールバスの車内は注意を受けるほど賑やかだったこと、1年次に実行委員として活動したSJ祭でお笑いコンビのアニマル梯団とお話できたこと、家庭教師ボランティアの活動でカンボジア人の姉妹がいるお宅に訪問していたこと(これは後日談なのですが、卒業から数年後にオーストラリアに移住した妹さんから国際電話をもらいまして驚きと喜びで感激しました!)、2年次はヘルパーとして卒業記念のカレッジリング製作に携わり銀座ミキモトの店員さんに店内を案内していただいたこと(保管していたシルバーのカレッジリングを探してみると硫化して黒ずんでいましたが磨くとたちまち輝きが戻りました!)、教室に残って卒業アルバム作りをしたこと、思い出が次々と浮かんできました。
池袋から秦野までの通学時間は毎日なが~く感じていましたが、学生時代にず~っと先のことだと傍観していた銀祝がついに自身にやってきて時が経過する速さを実感しています。時代の変化と共に上智短大の在り方も形は変わっていきますが、私たちが胸に抱き続ける限り“永遠不滅”です。
結びになりますが、先生方、先輩方が築き上げてくださった信頼と実績のおかげで私は社会に出ることができました。この場をお借りしてお礼申し上げます。卒業生としての誇りと感謝を込めて代表スピーチとさせていただきます。皆様、このあとの祝賀パーティーを楽しみましょう!
もう一度母校を訪れたい、という想いはたくさんの卒業生に共有されたようです。事前に161名ものお申込みがあり、当日も家族連れの方を含めて120名ほどが集い、大盛況のホームカミング会場となりました。同期、恩師との再会で写真撮影や創立50周年ソフィア会記念DVDの上映、ソフィアグッズ、SJ祭パーカー購入など秦野キャンパスを楽しんでいただきました。
また、2階では1期生主催の「1期生の集い」も催され、50年前の創立当初の学生生活にお話しが弾んででたのではないでしょうか。
募金箱も置き、たくさんの方にご協力いただきました。当日の総額は、¥77,252.- となりました。募金いただいた方には蒔絵シールをお礼に差し上げ喜ばれました。今後の同窓会の維持費として、短期大学部ソフィア会でお預かりします。ご協力誠ににありがとうございました。